「うちは財産がそれほどないから、相続でもめることはないと思います」
相続の話をしていると、そうおっしゃる方がいます。
預貯金が少しと、あとは長年暮らしてきた自宅だけ。大きな会社や何億円もの資産があるわけではない。それなら、家族で話し合えば何とかなるだろう。
そう考えるのは、決して不自然なことではありません。
ただ、相続の話し合いが難しくなるかどうかは、財産の額だけでは決まりません。
相続で問題になりやすいのは、「いくらあるか」だけではなく、「何が残っているか」「誰が何をしてきたか」「それぞれがどう受け止めているか」です。
今回は、比較的少額の遺産でも話し合いが難しくなる理由と、元気なうちにできる備えについて、行政書士の立場から整理します。
家庭裁判所の統計から分かること
裁判所が公表している令和6年司法統計年報によると、家庭裁判所で認容または調停成立となった遺産分割事件7,974件のうち、遺産の価額が1,000万円以下の事件は2,835件、1,000万円を超えて5,000万円以下の事件は3,373件でした。
遺産価額5,000万円以下の事件は、合計6,208件です。
これは、同統計の総数7,974件の約77.9%に当たります。
ここで注意したいのは、この数字が日本で発生した相続全体の割合を示しているわけではないということです。
家庭裁判所で認容または調停成立となった遺産分割事件について、遺産価額別に集計した数字です。「財産が少ないほど争いやすい」という因果関係まで、この統計から判断することはできません。
それでも、少なくとも「家庭裁判所に持ち込まれるのは、財産の多い家だけではない」ということは分かります。
財産額が大きくなくても、話し合いが難しくなる理由
1.自宅は、きれいに分けられない
相続財産の中心が預貯金であれば、金額に応じて分けることを考えやすいかもしれません。
しかし、主な財産が実家だけの場合、単純には分けられません。
- その家に住み続けたい人がいる
- 売却してお金で分けたい人がいる
- 思い出のある家なので残したい人がいる
- 維持費や固定資産税の負担を避けたい人がいる
どれも、それぞれの立場から見れば理由があります。
一人が自宅を相続し、ほかの相続人に代償金を支払う方法もありますが、そのための現金を用意できるとは限りません。
財産が少ないから分けやすいのではなく、分けられる財産が少ないために、選択肢が限られることがあります。
2.介護や生活援助に対する受け止め方が違う
親の介護をしてきた人は、「自分がいちばん支えてきた」と感じているかもしれません。
一方、離れて暮らす兄弟姉妹は、仕送りをしたり、仕事や家庭の事情のなかで、できる範囲のことをしてきたかもしれません。
問題は、それぞれの負担が互いに見えていないことです。
介護にかけた時間、交通費、生活費の援助、親との同居。これらに対する思いは、単純に領収書の金額だけでは測れません。
ただし、介護をしたからといって、当然にその人の相続分が増えるわけでもありません。寄与分などが問題になる場合もありますが、法律上認められるかどうかは、具体的な事情によって判断されます。
3.親から聞いていた話が、それぞれ違う
「この家は長男に残すと言っていた」
「介護をした人に多く渡すと言っていた」
「兄弟で平等に分けてほしいと聞いていた」
親が、その場にいる相手を安心させるために、少しずつ違う話をしていることもあります。
本人に悪意がなくても、相続が始まった後には確認できません。それぞれが「自分の聞いた話が本当だ」と思っているため、話し合いが進まなくなることがあります。
4.昔からの家族関係が表に出る
相続をきっかけに、子どもの頃から積み重なっていた気持ちが表に出ることがあります。
誰が大切にされていたのか。誰ばかり我慢してきたのか。困ったときに誰が動いたのか。
表面上は財産の話をしていても、その奥では、これまでの家族関係について話していることがあります。
だからこそ、法律上の割合だけを説明しても、それだけでは気持ちが収まらないことがあります。
法定相続分どおりに分ければ終わるとは限らない
民法には、相続人の範囲や法定相続分が定められています。
ただし、法定相続分は、個々の財産を自動的にその割合で切り分けてくれる仕組みではありません。
自宅を誰が取得するのか、預貯金をどう分けるのか、売却するのか残すのか。実際の分け方については、遺言がない場合、原則として相続人全員で話し合うことになります。
全員が同じ金額を受け取ることと、全員が納得することも、必ずしも同じではありません。
相続の難しさは、計算だけでは決められないところにあります。
だからこそ、財産額だけを見て「うちは大丈夫」と判断せず、誰が、何を、どのように引き継ぐのかを考えておく必要があります。
生前にできる備え
1.財産の内容を整理する
まず必要なのは、財産がいくらあるかだけでなく、何があるのかを把握することです。
- 預貯金のある金融機関と支店
- 土地や建物の所在地と名義
- 保険、有価証券、自動車などの財産
- 借入金、保証債務などの負債
- 利用しているオンラインサービスや継続契約
財産の一覧があるだけでも、残された家族が調査する負担を減らせます。
なお、財産一覧やエンディングノートだけで、遺産の分け方を法的に指定できるわけではありません。分け方まで決めたい場合は、遺言を検討する必要があります。
2.介護費用や立替金を記録する
親のために支払った医療費、介護費、生活費、修繕費などは、できるだけ記録を残しておきます。
領収書、振込記録、通帳の記載、家族間のメッセージなど、後から支出の目的を確認できるものが役立ちます。
記録を残したからといって、すべてが相続で精算されるとは限りません。しかし、何にいくら使ったのか分からない状態より、話し合いの土台を作りやすくなります。
3.家族に考えを伝える
遺言を作る場合でも、その内容をどこまで家族に伝えるかは慎重に考える必要があります。
すべてを詳しく話すことが適切とは限りませんが、なぜそのように考えたのか、どのような暮らしを望んでいるのかを伝えておくことで、残された家族が本人の意思を理解しやすくなることがあります。
ただし、家族で話し合っただけでは、遺言と同じ法的効力が生じるわけではありません。
4.必要に応じて遺言を作る
誰にどの財産を残したいのかが決まっている場合は、遺言が役立つことがあります。
特に、次のような場合は、財産額にかかわらず検討する意味があります。
- 主な財産が自宅などの不動産である
- 相続人同士の関係に不安がある
- 介護や生活を支えてくれた人への思いがある
- 再婚しており、前の結婚で生まれた子どもがいる
- 子どもがおらず、配偶者のほかに兄弟姉妹なども相続人になる
- 相続人ではない人にも財産を残したい
遺言には、民法で定められた方式があります。方式を満たしていなければ、本人の意思が書かれていても、遺言として効力が認められない可能性があります。
公正証書遺言は公証人が関与して作成し、原本が公証役場に保管されます。一方、自筆証書遺言には、自分で作成しやすいという特徴があります。どちらが適しているかは、家族関係や財産の内容によって変わります。
遺言を作れば、必ず相続争いを防げるわけではありません。
遺留分、遺言能力、遺言の解釈などが問題になることもあります。大切なのは、遺言を作ること自体を目的にせず、家族関係や財産の内容を整理したうえで、その人に合った方法を選ぶことです。
相続が始まってから困っている場合
すでに相続が始まっている場合は、まず次のことを順番に確認します。
- 遺言書が残されていないか
- 誰が相続人になるのか
- どのような財産と負債があるのか
- 期限のある手続きがないか
- 相続人全員で話し合える状態か
相続人全員の合意ができている場合には、その内容を遺産分割協議書として作成できます。
一方、すでに相続人同士で主張が対立している場合や、相手との交渉が必要な場合は、行政書士が代理人として解決することはできません。その場合は弁護士への相談が必要です。
不動産の相続登記は司法書士、相続税の申告や税務判断は税理士の業務になります。
何を誰に相談すればよいか分からない段階でも、現在の状況を整理することはできます。八咫烏行政書士事務所で対応できない内容については、必要に応じて適切な専門家へおつなぎします。
相続は、財産の額だけでは決まりません
財産が少ないから、家族はもめない。
財産が多いから、必ずもめる。
どちらも、一律には言えません。
相続には、それまでの暮らしや家族関係、一人ひとりの受け止め方が表れます。
書類だけですべてを解決することはできません。それでも、本人の考えを言葉にし、財産を整理し、必要なことを書面に残しておくことで、家族が迷う場面を減らせることはあります。
何を残すのかだけではなく、なぜそうしたいのか。
八咫烏行政書士事務所では、その話を聞くところから始めます。
参考資料
- 裁判所「令和6年司法統計年報 家事編」 (遺産分割事件のうち認容・調停成立件数、遺産価額別の統計)
- 裁判所「相続・遺産分割」
- e-Gov法令検索「民法」
※本記事は、2026年9月時点の法令および公表資料に基づく一般的な情報です。個別の事情によって、必要な手続きや適切な相談先は異なります。

コメント